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IDN-InDepthNews

進退窮まる移民たち

Mohammed (left) and Ahmed, two Somali migrants who survived crossing the Mediterranean and are now hosted in one of Syracuse’s first aid and reception centres, although they are not planning to remain in Italy for long. Credit: Silvia Giannelli/IPS【アウグスタIPS=シルヴィア・ジアネッリ】

イタリア沿岸を目指していた密航船がランペドゥーサ島沖で転覆し700人を超える移民が犠牲となった事件から一か月も経過していないが、ここシチリアではこの事件に関するマスコミの関心はすでに薄らいできている。シチリアはイタリア南部の州で、(アフリカ・中東からの)移民にとって主要な欧州への玄関口となっている。

ランペドゥーザという名のアフリカ人にとっての夢

African migrants wait for work in Tripoli that might pay eventually to take them to Lampedusa in Italy. Credit: Karlos Zurutuza/IPS.【トリポリIPS=カルロス・ズルトゥザ】

ナイジェリア出身のユーセフ(28)さんは、ポケットに折りたたんだ欧州の地図を入れてサハラ砂漠を横断してきた。「この地図でランペドゥーザがどこだか指さしてもらえますか? 私にはわからないのです。」と語った。

ランペドゥーザとは、ここリビアの首都トリポリの北西600キロに位置するイタリア領の島の名前である。ユーセフさんは、このランペドゥーザ島にいつか辿り着くことを目指して、ナイジェリアの首都アブジャから過酷な道のりを経てリビアへとやってきたのだった。

「アブジャからトリポリまで直行便がないから、陸路できたんだ。ぎゅうぎゅう詰めのトラックに揺られて砂漠を縦断する5日間の旅に800ユーロ(約112,800円)掛かった。トラックでは、運び屋から『誰かが落ちても止まらないからしっかり体を結びつけておけ』と言われたよ。」とユーセフさんはIPSの取材に対して語った。

欧州のどこかへ何とかして逃れようとする人びと

【アテネIPS=アポストリス・フォティアディス】

 

熾烈な内戦状態が続くシリアから逃れてヨーロッパに向かう人々が増える中、ギリシャはできれば通過したくない場所になってきた。

 

現在、そうしたシリア難民の大半(他の国々からの難民もそうだが)は、ギリシャ以外の場所を通過して北部ヨーロッパに逃れようとしている。そしてその選択肢の一つとして、やはり難民に対して厳しいバルカン諸国を通るルートが浮上してきている。

|米国|国境を要塞化しても、最終解決策にはならない

【シアトルIPS=ピーター・コスタンティーニ】

 

米国における移民を巡る議論に困惑している人は、あの「マジノ線」を思い出してみたらどうだろうか。

 

「マジノ線」とは、1930年代に、当時のフランス陸軍大臣アンドレ・マジノAndré Maginot1877―1932年)の提唱で、来るドイツの侵攻に備えてフランス政府がドイツ―フランス国境沿いに構築した長大な要塞線のことである。しかしナチスドイツは、第二次世界大戦初期の対仏電撃戦において、マジノ要塞の北限(フランスは中立国のベルギーとの国境にマジノ線を延長していなかった:IPSJ)をやすやすと迂回して英仏連合軍を圧倒、わずか6週間でフランスを降伏させた。

アフリカに新天地を見出す中国人労働者

 

【ナイロビIDN=マーク・カプチャンガ】

 

中国人にとってアフリカ大陸が新たな故郷になりつつある。4年前にケニアにきたリュウさん(3児の父)は、暫くは中国福建省の故郷に帰ることはないだろうという。

 

最近完成したばかりのティカ高速道路の建設に従事していたリュウさんは、今後はケニアで小売業を始めるか、違う仕事を探すつもりだという。

 

現在アフリカには新たな中国人移民の波が押し寄せているが、リュウさんの声はそうした中国人労働者の心情を代弁したものといえよう。今日までに中国からアフリカに渡航した労働者は81万人以上にのぼっている。そして彼らの大半が、アフリカ諸国では本国と比較して多くの収入が期待でき、ビジネスチャンスも多いことから、労働ビザの期限が切れた後も不法滞在を続けているのである。

 

また中にはアフリカの広大な耕作地に目をつけ、土地と農業ビジネスへの投資で一儲けを企図して渡航してくる者もいる。

情報不足で困難に陥る難民支援

UNHCR/S.Modola

【ベルリンIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

 

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、情報不足からくる2つの問題に悩んでいる。ひとつは、難民発生国における活動の困難であり、もうひとつは、先進国に難民が集まりやすいという幅広く信じられている「誤解」の問題である。

UNHCR
では、近年のソマリア情勢の悪化により、今年に入って32万人がソマリアから避難したとみている。UNHCRのアンドレイ・マヘチッチ報道官が10月21日に語ったところによると、難民の多くはケニアやエチオピアといった隣国にも向かっているが、アデン湾を超えて対岸のアラビア半島に渡るという危険な行為に出る難民も少なくないという。

今年に入ってからすでに2万人のソマリア難民が対岸のイエメンに到着している。「イエメンの難民受入センター(Reception Center)に新たに到着した難民がUNHCR職員に語ったところによると、旱魃、飢饉、内戦、兵士への強制徴用が、ソマリアを逃れてきた主な原因です。」とマヘチッチ報道官は語った。

|イエメン|売り買いされ虐待にさらされる女性たち

【アデンIPS=レベッカ・ムレイ】Twenty-one-year-old Aisha clings to her child as she recounts her tale of being trafficked. Credit: Rebecca Murray/IPS

 

アイーシャ(20歳)は、2人の子どもを強く抱き寄せながら、自身に降りかかった恐ろしい経験について語った。ソマリアの首都モガディシュで育った彼女は4年前に恋に落ち、未婚のまま最初の子どもを出産した。それを知った家族が「名誉を汚した」として彼女の命を脅かしたため、やむ無く家出したという。

アイーシャは、より良い人生を求めてブローカーを頼りにイエメン行きの密航船に乗り込み、危険なインド洋を渡ってきた。

多様性の問題に取り組むドイツ

【ベルリンIPS=フランセスカ・ドジアデク】

ドイツでは、移住者に起源を持つ国民が人口の20%(約1600万人)を占める一方で、社会の底流には依然として外国人、出稼ぎ労働者(ドイツ語でゲストワーカー)、有色人種に対する根強い差別意識が蔓延り、多様性の問題に対して矛盾した面を抱えている。今日のドイツ社会は、愛憎併存したこの多様性の問題をいかにして見直すかという緊急の課題に直面している。

人口予測によると、25才以下人口の25%が移住者を祖先に持つという。「新ドイツ人」と呼ばれるこの人口集団は、政治や社会が彼らの存在により着目し、声を聞き届け、社会進出を受け入れるよう要求している。一方、より年配の移民世代の人々は、人種主義的な動機に基づく犯罪に対して手を拱いているドイツ警察当局の現状や、長年に亘る人種排斥に対して深い憤りを募らせている。

アフリカ諸国の紛争が新たな難民数を今世紀最悪レベルに押し上げている

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が6月20の「世界難民デー」に合わせて発表した年次報告書によると、2011年には、アフリカの4カ国で発生した内戦等により、世界で新たに約80万人が安全な避難場所を求めて祖国から逃れ難民となっていた。

危機の年:2011年世界の動向レポート」によると、2011年は難民となる人が今世紀になって最も多く発生した記録的な年となった。

同報告書によると、2011年は紛争や迫害により世界で430万人が新たに避難を強いられた。しかし、こうした新たに発生した膨大な数の避難民の大半は、国境を超えることなく自国内で避難先を探すことを強いられた国内避難民である。

この報告書をジュネーブのUNHCR本部で発表したアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、「2011年、世界は大規模な悲劇に見舞われました。あまりにも短い期間にあまりのも多くの人々が混乱の渦中に巻き込まれ、大きな被害、甚大な被害を負担することになったのです。」と語った。

|パレスチナ|ナクバから64年目の記憶

【リフタ(エルサレム)IPS=ピエール・クロシェンドラー】

「私の人生の原点はそこにあります。当時私は8歳の少年でしたが、あの家から『アッラーフ・アクバル(Allahu Akbar)』という礼拝を呼びかける父の声が、村全体に響いていたのをよく覚えています。」とヤコブ・オデフさん(72歳)は、高い丘の上に立つ廃屋を指差しながら語った。

64年経った今も、パレスチナ人にとってリフタの村はナクバ(「大災厄」)を想起させる象徴的な場所である。ナクバとは、イスラエル建国に際して採られたパレスチナ人追放政策で、オデフさん一家も含め、数十万人のパレスチナ人がイスラエル軍兵士により住み慣れた家を追われた。

イスラエルの西エルサレムと、イスラエル占領下の東エルサレムの境に点在するリフタの村は長年放置され廃墟となっている。多くのパレスチナ人にとって、リフタは失われた土地とパレスチナ人が置かれている窮乏を象徴する存在である。